高校一年生の入学から卒業まで、いつも一緒に遊んでいた仲間が五人ほどいた。
公立工業高校故か連れの殆どは貧乏でみんな高校一年生から何らかのバイトをしていた。(私はガソリンスタンド)
高校一年生の誕生日がきて16歳になると原付や中免を取りに行き、バイトで貯めた金でバイクを買った。
今まで自転車にしか乗った事がないガキンチョ輩にとって、喩え50ccであったとしてもバイクは「どこまでも遠くへ行ける夢の乗り物」だった。
夏になると日本海の高浜へテントを積んでみんなでキャンプに出掛けた。
平日は授業が終わると伏見か山科の連れの家に集まり、宇治川ラインか東山ドライブウェイを走り、「俺、ここでステップ擦った!」などとはしゃいでいた。
毎週土曜日になると山科の連れの家に集まり、一人500円ずつ出し合い、サントリーホワイトとスナック菓子を買って朝まで喋っていた。(私は夜這いの為、頻繁に途中下車していた‥汗)
高校仲間五人の内、私と他校の連れ以外の三人は学年トップ5に入る学力を持っていた。
私は授業を聞かず、雑談をするか落書きをしていたので常に学年ワースト5に入る実力を持っていた(笑)
が、中間や期末試験になると三人の優秀な連れがノートのコピーにアンダーラインを入れて手渡してくれた。
ありがたかった。本当にありがたかった‥。
が、コピーをもらった時点で安心して遊びまくり、何も暗記できないうちに試験が始まってしまうの繰り返しで、私はいつも赤点だった‥。
夏休みの補習にもよく通った‥(恥ずかしかったなぁ‥)
でも、IQテストはクラスでトップだったのだぞっ‥(苦しい言い訳)
「高校三年間、遊ぶ以外なし!」の果てには卒業が待っていた。
私と他校の連れ以外は「NE●・富士●・オービッ●」等のIT企業に就職し、他府県へ散って行った。
某家電量販店へ就職した私と某飲食チェーン店へ就職した友人は京都に残った。
が、盆正月になると誰かが「ちょいと飲もうか?」と連絡し合って集まって来る。
集まるとバカ話しばかりだったが、そんな会も本年でそろそろ26年目に突入。
毎年、同じ事を繰り返している内に白髪の数やシワの数に相応して話題も「悩める話」と変化し、各々大人になって行くのだなぁと感じる昨今。
本年年明け早々、これら高校時代の友人と全く別の後輩が他界した。
任侠の世界に生きていた故、いつ死ぬかは仕方のない事だとは思いつつ、そいつと繋がりのあった友人M氏へ訃報報告で20年ぶりに電話をした。
「こんどの日曜日、泊まりで来ぃな!一緒に焼香、行こぉや!」と、言うと「わかった!」と二つ返事。
焼香を済ませた後、後輩のドラマーのりちゃんと三人で久しく飲んでいると友人M氏が「お前が20年前に付き合っていたT子ちゃんってどないしてるねん?久しぶりに会いたいなぁ!」との話し(笑)
冗談半分に連絡をしてみると「ちょっとくらいならイイよ!」との返事で翌日、三者面談(T子ちゃん、すっかりオバサ‥笑)
普段常時接している人達がいる。
稀にしか接しない人もいる。
しかし、人は人と接すると双方に色々な変化が伴うと思う。
ふと気付いたのは「今でも繋がっている友達は掛け替えのない財産」って事かな。
「縁が深い」の一言では片づけられない因果があると思う。
「なんとか繋げよう」ではなく「あぁ、繋がってるんや‥」に底知れぬ深さを感じた次第でござる。
「人有るが故に我有り」かと存ずる次第でごじゃりまする。